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最高裁判所第二小法廷 昭和59年(あ)1104号 決定 1985年4月03日

本籍

東京都新宿区西新宿六丁目七三〇番地

住居

同 品川区東五反田一丁目四番九号 五反田スカイハイツ三〇五号

会社役員

小林敏雄

昭和二二年五月一二日生

右の者に対する法人税法違反被告事件について、昭和五九年七月一六日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人秋山昭八、同石井春水、同葛西宏安の上告趣意書は、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 牧圭次 裁判官 木下忠良 裁判官 鹽野宜慶 裁判官 大橋進 裁判官 島谷六郎)

昭和五九年(あ)第一一〇四号

○ 上告趣意書

被告人 小林敏雄

右の者に対する法人税法違反被告事件について次のとおり上告趣意を開陳する。

昭和五九年一〇月三日

右主任弁護人 秋山昭八

弁護人 石井春水

弁護人 葛西宏安

最高裁判所第二小法廷 御中

原判決は刑の量定に関する前提事実について判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認がありこれを破棄しなければ刑の量定が甚しく不当に帰し著しく正義に反するものである。

一 即ち弁護人らは原審において量刑不当を唯一の控訴理由とし、その主たる理由を東洋観光株式会社の実質上の経営者は被告人の実父崔泰一であって、被告人は全く名義上の会社代表者に過ぎない旨を主張し、これを立証するため、証人崔泰一及び、経理責任者井上美春を在廷させたうえ、その証拠調べを申請したのである。ところが、原審はいずれもこれを採用せず全く形式的に極めて短時間の被告人質問のみを許可し、しかも右事実に関する部分は質問を制限し、一審を担当しなかった原審弁護人らに対し殆んど審理を尽くさせない不当な審理指揮をしたのである。その結果原判決は「記録を調査し、当審における事実調べの結果をも加えて検討する」旨判示しているが、右次第のとおり原審における事実調べは量刑に係る重大な事実について全く審理を尽さず、また一審記録の調査も全く形式的な辻つま合せの極めて拙速主義に堕し到底原判決の認定は首肯し難いと言わねばならない。

二、むしろ一審記録を精査すれば被告人が東洋観光の実質上の経営者である等とは到底言えないことが容易に判明するのである。然るに原判決はいとも簡単に被告人を東洋観光の実質上の経営者と極めつけ実弟小林成桂と共謀のうえ、昭和五四年六月一日から昭和五六年五月三一日までの二事業年度において同社の業務に関し、売上の大幅な除外等を行って簿外仮名預金にする等の方法で所得を秘匿した旨判示しているが、全くの誤認と言わざるを得ないのである。

三、原判決の判示によれば

(1) 東洋観光は昭和四七年六月設立され、被告人が代表取締役となり「東口ニューブルームーン」を開店し、順次店舗を増設したこと、当初被告人が主体となって経営にあたって来たが昭和五五年一月以後は、実弟と共同して経営にあたって来たこと

(2) 昭和五五年二月東洋観光経営の「西口ブルースカイ」(大井町ブルースカイ)がピンクサービスのかどで警察の手入れを受け、同年三月被告人が風俗営業等取締法違反の容疑で逮捕され、公判請求されたこと、このため実弟がその後任に就任したが社内的には敏雄社長、実弟が成桂社長と呼ばれ両名の共同経営の実質は変わらなかったこと

(3) 崔泰一は会長と呼ばれ、月一回開かれる幹部会議に時々は出席することもあったが同人が同社の幹部に対し指示を与えるというようなことはなく、被告人や成桂から相談を受ける程度であったこと

(4) 所得隠匿の方法は、昭和五一年ころから被告人の指示によって行われてきたこと

(5) ピンクサービスは被告人の指示で東洋観光経営の全部の店舗に順次広げられたこと

(6) 東洋観光経営のキャバレーはいずれも崔泰一の所有であり、東洋観光はこれを賃借していたこと、東洋観光の設立或るいは新店舗の開設等にあたって崔泰一から多額の資金が無利息で貸し付けられていたこと、簿外仮名預金から引き出された多額の現金が崔泰一に返済されていたこと

(7) 本件所得のうち約二億五、〇〇〇万円が被告人及び成桂名義の不動産の取得資金として使われていること、被告人は正規の給料のほか、簿外現金の中から毎月三〇〇万円ないし五〇〇万円の現金を持ち出し、遊興費として消費していたこと、等を総合して崔泰一が中心となって東洋観光を経営していたものとは認められず、また崔泰一が企画し、被告人らをして実行せしめたものとは認められない旨判示しているのである。

四、しかしながら、

(1) 被告人が昭和四七年六月東洋観光設立時から代表取締役であったとの点は全く形式的な名義上のものであって、これを実質上の経営者認定の一資料とすることは到底できないし、まして被告人が自ら順次店舗を増設する等到底不可能であって、全ては実父である崔泰一会長が実行したものである。そのことは東口ニューブルームーンが実父所有の東洋会館ビルの二階であり「ミス五反田(後に東口オーケーと改称)」が同ビルの地下であり、さらに「西口ブルースカイ」が実父所有の大山ビル一、二階であり、「ハイハイ(後に西口ブルームーンと改称)」が同ビルの地下であって東洋観光経営に係るキャバレーはいずれも父泰一所有のビルを賃借する恰好で行われており、しかもこれらはいずれも世間相場を著しく超える賃料で賃貸借契約をしており実父が賃料名義で営業収益を吸い上げる方式をとっていることに徴しても東洋観光の実質上の経営者は父であることが十二分に推量されるのである。仮に一審判決及び原判決が判示するように、実父は資金的援助をしたのみで被告人がその裁量で営業店舗を順次増加していったものとすれば、右のような営業は凡そ経済法則に合致しないものであり、一般社会通念に反するものであり判示は著しく説得性に欠けるものと言わなければならない。被告人は大学中退後、特段定職もなく実父の使い走りをしながらゴルフ三味に明け暮れ、専らスポーツに興じていたものであって被告人は有限会社大丸産業及び東洋観光株式会社の各代表取締に名を連ねた後も従来と同様殆んど会社業務には関与せず会社の経営内容等は知る由もなかったのである。すなわち大丸産業は当初金融を業としていたが、その実態は正に名実共に実父が采配を振っていたもので、後にキャバレー営業を開始した後もその実質上のオーナーは実父崔泰一であり、日常の業務管理を崔泰一の妻の兄である菅野元雄が当たっていたにすぎないもので、被告人を代表者名義にしたのは専ら、対税上並に営業政策上、万一の警察取締りに対する予防的措置としてなしたもので全く形式的なものである。

(2) 原判決は昭和五五年二月、ピンクサービスのかどで警察の手入れを受け、同年三月被告人が風俗営業等取締法違反の容疑で逮捕され公判請求されたことをもって被告人が東洋観光の実質的経営者の一資料としているがこの種犯罪の手入れを受けた場合、取締当局は必ず登記上の会社代表者を起訴することによって取締り効果を挙げその余の従業員は釈放乃至略式命令手続で修了させる習しになっているのであって、そのため、会社代表者は自らの罪責の有無にかかわらず刑事罰を受けるのが常であって、このことをもって直ちに会社経営の実質上の権限者と看做すことはできないというべきである。また原判決は同年四月被告人が東洋観光の代表取締役を辞任したが被告人は敏雄社長と呼ばれ同社の経営に実質的に関与してきたものであると判示するが現実には実父が会長と呼ばれて実権を行使し、被告人が従前どおり社長と呼ばれていたのは全く社交上の呼称にすぎなかったもので、このことの故に実質上の権限者と認定すべき根拠とは到底なり得ないものである。

(3) 原判決は崔泰一は会長と呼ばれ月一回の幹部会議に時には出席することもあったが、同人が同社の幹部に対し指示を与えるということはなく、被告人から相談を受ける程度であった等と判示するが全く実情と相違するものである。

そもそも崔泰一が東洋観光の経営について実質上の権限がないのであれば幹部会に出席すること自体極めて不可思議のことであると言わねばならないが実態は崔泰一が実質上の経営者として毎回出席し細部に亘る事項まで指示をしていたものであり、被告人こそ幹部会議には時々出席していたものの殆んど重要事項について発言をしたり、具体的な指示を発したりしたことはないのである。従って売上金の処理等は崔泰一の指示で菅野あるいは井上美春、石原雄基らが実行していたものであって、被告人は詳細にこれを知り得る立場にはなかったのである。

(4) 原判決は今回の所得隠匿の方法は、昭和五一年ころから被告人の指示によって行われていた旨判示するが、もともと同社は小林成桂が昭和四七年三月大学を卒業し社会人になった際実父が、所得圧縮の手段として被告人兄弟を名義上の役員として同年六月二〇日設立したものであって、出資金及びその後の店舗増設、改装費用等も一切父親が出資していたものであって、キャバレーという営業をすることも、その経験のある実父の発案によるものであって、(昭和四五年頃まで実父は月世界なるキャバレーを経営していた)これらの事情に徴しても、被告人が実質上の経営者としてその指示で所得隠匿の方法が行われた等のことは一切ないのである。

(5) 原判決はピンクサービスは被告人の指示で全部の店舗に順次広げられた旨判示するが、これも「西口ブルースカイ」の岡野店長がとり入れて売上げを急激に伸ばしたことに目を付けた実父崔泰一が更に他の店舗においても売上げを増進する計画で採り入れることに決定し、全店舗の現場責任者に指示したものであって、被告人が具体的に指示したことは一切ないのである。

(6) 原判決は各店舗の所有者が崔泰一であり、東洋観光が賃借していたこと、多額の資金が無利息で貸し付けられていたこと並に仮名預金から引き出された現金が借入金の返済にあてられていたこと等をもって崔泰一は単に被告人の事業を援助したのみで実質上の経営者でない旨判示するのであるが前述のとおりビル賃貸においては著しく高額な賃料を徴して実質上東洋観光の所得を吸いあげているばかりか、会社の簿外現金は殆んど実父のもとに届けられ同人が取得しているのであってその実態は貸付金の返済等というものではなく、その額からいっても自ら出損した資金を大幅に越えるものであって、この点からみても一審並に原判決はあまりに形式的な面のみを強調し実態を見ないという批判を免れないのである。

(7) また原判決は所得の中二億五千万円が被告人兄弟の不動産の取得資金として使われていることを指摘するが、被告人らの名義による不動産も実際は、家族全員の別荘であったり東洋観光の従業員の宿泊施設であってその使用の実態をみればまさに実父の所有若くは実父が実権を有する東洋観光の営業目的のものであって被告人らが私したものとは到底言えないものなのである。また原判決は被告人が正規の給料の他毎月三〇〇万円ないし、五〇〇万円の現金を持ち出し、遊興費に当てていた旨指摘するが真実は全く異なり被告人が給料以外に右の如き多額の現金を持ち出したこと等は一切なく被告人が当局から所得金の使途を追及されてそれを隠蔽するため全く虚構のものとして供述したものであって真実被告人が右のような大金を遊興費に費消したことは一切ないのである。さらに原判決は昭和五一年頃から被告人の指示で経理担当者が実際の売上額より低い額で公表帳簿を作成し、除外分は簿外現金として保管しておき公表の支払分は公表の当座預金から支払い、簿外の支払分については簿外現金から支払っていた旨判示し、税務当局の調査に備えて諸般の手段を弄し、極めて巧妙かつ徹底したものであり、しかも、被告人は昭和五六年一月二四日に所轄税務署から督促を受けながら昭和五五年五月期の申告所得額は六五万円余とした等の点を指摘している。しかしながら昭和五一年頃、被告人は二九歳で前に述べたとおり名義上東洋観光の代表取締役に就任していたものの実際の会社経営の実務には殆んど関与しておらず、ゴルフなどに打興じていた時代である。したがって原判決が指摘する如き態様の帳簿処理を被告人の立場と能力をもってして指示できる訳もなく事実被告人が自ら経理担当者の誰一人に対してもかような指示をしていた事実は全くないのである。したがって昭和五五年五月期の申告についても、被告人の判断で実際の所得を無視した低い所得の申告をしたというものではなく、全ては実父崔泰一が前記菅野及び井上、石原等の措置に委ねていたものなのである。

五、被告人は第一審公判において本件所為について実父から指示されたことはなく自分達で決定したうえ、実行した旨供述しており一審並に原判決もまたこの点を把えて、被告人らを会社経営の最高責任者と判示しているのである。しかしながら、相互に著しい利害関係のある第三者同志の供述であれば、あながち右供述の信憑性を否認するものではないが、実の親子の間柄とりわけ非常に封建思想が強く残っている朝鮮民族の血族重視観念の厚い者の間において子が、親を思い、親をかばって、子が自ら積極的に親が会社経営に実質的に関与していた等とは述べ得ないことは容易に推量されるのであって判決が指摘する如き供述があったからと言ってこのことから直ちに子供である被告人が会社経営の実権者であるとすることは客観的な金銭の流れ、キャバレーの設置場所、日常業務における実父の係り方、被告人の能力、経験等々に徴し到底真相とは異なるものと推認することができるのであって、かく認定することこそ経験則に合致するものと言うべきである。

六、以上のことは後記のとおり一審公判における被告人の供述を詳細に検討すれば自ら明らかになるのであって、本件は正に形式論の積み重ねによる砂上の楼閣というべきものであって、結論的部分について自白があったからと言って、その犯行の詳細な内容については一切被告人は判らない旨述べているのであってこのことによっても明らかなとおり殺人犯が殺人の結果を自白しながら、その殺害に至る経過については詳細に述べていない事案に等しく、結論部分の自白のみを採用して被告人を会社の実権者と認定することは誤りと言わねばならない。

(1) 第一審第二回公判における小林成桂の供述

第一分冊八丁裏一〇桁目以下

裁判官 あなたが社長になってからは、脱税等の指示はお兄さんと相談してやっていたのですか。

被告人 私の決断で専務、常務に任せていました。

裁判官 あなたが社長になってから、お兄さんとの間で特に変ったことはありましたか。

被告人 兄は殆んど会社に出て来なくなりました。

裁判官 申告しないことについては、どう思っていましたか。

被告人 十分いけないことだと思い、兄には話しませんが経理には、何回となく、早く申告するように言っておきました。

第一分冊十二丁表三桁目

裁判官 申告について、お兄さんと相談したことはありますか。

被告人 ありません。

以上のとおり小林成桂は被告人兄弟が共謀のうえ、実行した旨の認定と完全に異なる供述をしておりむしろ、脱税工作は経理担当者が実父崔泰一に一任されて実行していたことが認められるのである。

また期限後申告について

十二丁裏二桁目

裁判官 五三年頃から、期限後申告をしていたようですが、これは石原さんが考えたのですか。

被告人 私は当時いませんでしたが、そうだと思います。

と述べており被告人小林敏雄が意図的にしていたものでないことが認められる。

(2) 第一審第二回公判における被告人小林敏雄の供述

第一分冊十六丁表八桁目

裁判官 四七年に被告会社を設定し、あなたが代表取締役になったということですが、申告は何回やりましたか。

被告人 全部計理士さんがやってくれるものだと思い私の方ではやっていなかったと思います。

十六丁一二桁目

裁判官 申告をしなくなったのは四九年五月期からだという調書もありますがどうですか。

被告人 分りません。

十六丁一桁目

裁判官 設立当初の営業成績はどうでしたか。

被告人 ピンクサービスをしなかったので利益はなく、申告もしませんでした。それで代表者が弟になってからもそれが引き継がれて、申告しなかったのだと思います。

一七丁表一桁目

裁判官 納税資金の交渉をお父さんとしたのは誰ですか。

被告人 弟です。私は関係していません。

裁判官 法人税の付帯税、地方税関係も弟さんにまかせているのですか。

被告人 そうです。

以上のとおり、万一被告人が自ら営業上の実権者であって、税理士に依頼して申告していたとすれば、その回数も判る筈であり前記のような答にならない筈であり、極めて不自然な供述と言わねばならない。

また、被告人が会社の実権者であるとすれば、当然自らが納税資金を工面すべきものであって弟が父と交渉するのに委せていたということも極めて不自然でありさらに、納税資金や罰金の支払について父と交渉し、父が出捐する等も可笑しいことであって、被告人の供述によれば、正に真実の実権者は父崔泰一であることを最も雄弁に物語っていると言えるのである。

(3) 一審第三回公判における小林成桂の供述

三六丁裏一桁目以下

裁判官 今はどうですか。

被告人 私が代表取締役になってからは、以前ほど意見も述べず、回数も減りはしましたが、時には出席します。

裁判官 決定には関与していたのではありませんか。

被告人 私が代表者であり、私の兄でもありますから間違っていれば、注意されることもあります。

裁判官 営業も軌道に乗っており、あまり口出しをされたこともないということですか。

被告人 そうです。

三八丁表二桁目

裁判官 月始めに銀行から仮名預金を下す際、お兄さんは立会っていましたか。

被告人 あまり立会っていません。

裁判官 五五年~五六年当時はどうだったですか。

被告人 菅野常務が銀行へ取りに行くなり、もって来てもらうなりしていました。

裁判官 あなたは銀行へ取りに行ったことはありますか。

被告人 あります。

裁判官 お兄さんはどうですか。

被告人 ないと思います。私が来てからはですね。

以上小林成桂の供述によれば少なくとも同人が昭和五五年四月代表取締役となった以降は被告人は殆んど実権を行使していないことが認められるのであって、本件対象二ケ年間に至って被告人が実権者として小林成桂と共謀して実行した旨の一審並に原審の認定は著しく真実と相違するものと言わねばならない。

第一審第四回公判における被告人の供述

六一丁表五桁目以降

被告人は代表取締役を辞した後は会社の経営には参加しておらずアドバイス程度であったこと。

被告当時、経理に関与したことはなく、井上専務や菅野常務がしていた旨供述し、

さらに六二丁裏において

父に渡した金は被告人の会社に対する借金となり少しずつ返済する等と述べているがその様なことはありえない筈である

また六三丁裏において

五八年一二月二〇日付の国税局に差入れた約手のことについては弟がやっているので弟に聞かないと私には分りませんと述べ被告人が殆んど納税について関与していないことが認められるのである。

さらに六四丁表において

現在申告書の作成を依頼している鈴木税理士は自分が頼んだものではない旨を述べ、

六五丁表二桁目検察官の質問に対し

父親から借金し、四店舗で合計一億九、〇〇〇万円の設備を設け、五八年五月期には二、四〇〇万円償却費を立てたことは知らないと述べている。

また六七丁裏において

私も大人げないんですけれども、経理とか金庫とかは、あまり見ておらず、申告は計理士さんがやってくれているもんだと思っており、ずうっと申告していないことは知りませんでした旨を述べているのである。以上の被告人の供述によればとりもなおさず、被告人の父こそが実権者であり、父が申告をしたいたものと思い込んでいたのであり、

被告人が実経営者でないことを雄弁に物語っている証左である。

また被告人は六九丁表において

三事業年度について期限後申告したことはあとから知った。従前から会計の経理は鈴原会計事務所に依頼していたが、それは父の代から父が頼んでいた旨述べているが、かようなことは被告人が万一実権者であればあり得ないことである。

さらに六九丁裏において被告人は

税務署から申告するように言われたことは知らないし、誰が呼ばれたかも分らないと述べている。申告書にサインしたのは鈴原会計事務所の人が来てサインしてくれと言われてサインしたのに過ぎない。内容については無頓着で関心がなかった旨を述べ、

七四丁裏においては

私は経理や金庫にはタッチしていませんでしたから処理してくれているものと思っていた。等の供述を総合すれば、被告人は実真上の経営者でなかったため、経理はもとより、現金の出入れについても特段の関心を持たず、ましてや税務申告は実父がしていたものと信じ切っていたことが十二分に認められるのである。被告人の公判期日における供述こそ真実を物語っているものであって被告人の警察調書はもとより、検面調書さえもあまりにすじが通りすぎていて被告が実権者であるという点に関する記述は正に捜査官の作文というべく到底被告人の任意の供述とは言えないと言うべきである。ただ被告人の昭和五八年七月二〇日付検面調書中「弟が副社長として来てからは月始めのお金をどうするかという事も弟と菅野常務が相談して決めていた」なる記述(二一四八丁表)及び「最近になって売上が表と裏で二重に計上されていたものがあったということを国税局の方から聞かされましたが、そういうことがあったということは全く知らなかった」旨の記述(二一四五丁裏)は公判における供述にも合致し十分措信できるものであって、この点は真実に副うものと思料される。

七、被告人は少なくとも登記上会社の代表取締役であったことからその責任は免れないものと観念し、而も実父及び実弟の罪責を一身に背負うつもりで、本件捜査及び公判において終始一貫して有罪である旨を認めてきたのであるが、その実情は前述したとおりである。被告人は今後脱税等の犯行を二度と繰り返さない旨固く誓約し、而もこれを実践するため、被告人は会社から一切関係を絶ち、自らの経験を生かしてゴルフショップを開業することとし、目下その準備中であり、今後再犯の恐れは全くないのである。被告人は現在妻の他、女子七歳、男子三歳、及び二歳の五人家族で平和な生活を営んでいるが唯本件実刑判決のみが最大の悩みである。またこの様な結果を招いたことによる実父の悩みと悲しみは尽大なものであり、成桂を含め家族の苦しみもまた想像に余りあるものである。被告人は本件対象事業年度分の法人税を完納し、加算税、延滞税についても不動産担保を差入れ、約束手形による納付受託の手続きをとっている外、法人事業税都民税についても、その一部は既に支払済みであり、残額も分割弁済の予定である。また法人に対する罰金刑も完納しているのである。会社においても新たに税理士をむかえ、経理体制を改善する環境を整え、今後はまじめに納税するよう認識を改めているのである。本件は新聞等に大きく報道され、被告人に対してはもとより一罰百戒の効果は十二分に達したものと言い得るのであってこの際むしろ被告人に対し執行猶予の判決を言い渡され、被告人らの一族犯罪ともいうべき本件について公平な処罰を与えることが最も妥当な裁判であって、これによって被告人ら一家の平和が期待されるばかりか、また被告人に対し裁判に対する信頼を与え、今後人生を歩む上で最大な勇気を与える所以となることを確信するものである。

以上で明らかなように、原判決の被告人の量刑はその前提事実につき重大な事実誤認があり、その結果著しく重きに失し破棄しなければ著しく正義に反するものと思料するので、原判決を破棄し、被告人に対し刑の執行猶予の判決を賜りたく、本件上告に及んだ次第である。

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